無謀な富士登山○ 一生忘れられない大変だった富士登山のおはなし高校時代のことだから、約30年前の話です。ふとしたことから誰かの「富士山に登ってみたいなあ。」の言葉から 話が進み、「それじゃあ、夏休みに一回行ってみよ。」ってことになりました。 10代半ばの同級生ばかり6人、その年齢なりには ちゃんと計画したつもりでしたが、結果的には考えは浅はかみたいでした。 頃は昭和51年8月、車中一泊を含め3泊4日の旅でした。 8月7日夜、大阪発 急行 銀河に乗り、翌朝 沼津着、御殿場線に乗り換え、御殿場着、その後河口湖畔で一泊しました。 さて8月9日、河口湖口5合目から富士登山を開始しました。 山をなめきっている者ばかりだったので、高校の体操服上下で出発、足元も登山靴とは違い、普通の運動靴でした。 まして、天気は絶対晴れるもの、雨なんか降るはずないと思っていました。 5合目のレストハウスで焼印を押してもらうための「つえ」を買い、午前9時にみんなでワイワイ言いながら出発、 その頃は、周囲も登山客でにぎわっていました。 しかしながら、早くも6合目付近で風が強くなり肌寒くなってきました。 そして、唯一の防寒着であるカッパを身につけました。 その後、登っていくにつれ、だんだん天気が荒れてきました。 悪天候の中で富士登山をした方ならお分かりになると思いますが、尋常な荒れ方じゃないですよね。 それでも若さゆえ どんどん足を進め、7合目の山小屋「かま岩」で「3,000m」の焼印、8合目の「東洋館」で 「一万尺」の焼印を押してもらいました。 それまでは、雨は空から降ってくるものだと思っていましたが、場所によれば、下からも降るんだなって思いましたね。 寒いし冷たいし、みんなだんだん無口になってきました。 9合目で「3,600m」の焼印を押してもらったとき、周囲は我々以外ほとんど人がいませんでした。 あれだけ人がいたのに、みんなどこへ行ってしまったんでしょうか、って言うのも、山小屋の人に 「台風が通っているから、これ以上は止めたほうがいいですよ。」って下山勧告されたんです。 その言葉に影響されてか、6人のうち2人がここでリタイヤしました。 あと4人は、「せっかくここまで来たんやから登ろ。」ってことになり、さらに上を目指しました。 途中で2人遅れてしまいましたが、結局午後1時半頃、所要時間4時間半で、とりあえず 「富士山頂」って看板があるところに到着しました。神社で「富士奥宮」と「富士山頂」の朱印を押してもらいました。 さて、でもここは日本最高3,776m地点ではないんですよね。 お鉢めぐりと言って、山頂をグルッと周らないと最高点へ行けませんよね。 でも、さすがにここでも神社の人に「早く下山したほうがいいですよ。」って言われたので、お鉢めぐりは断念しました。 結局3,750m位の所までしか行けなかったと思います。写真だけ撮って、さっそく下山開始しました。 よく考えたら(考えなくても)、登った距離と同じだけ降りないといけないんですよね。下山は須走口から降りました。 体力もだんだん弱ってきていることもあり、下山もかなり大変でした。 途中、砂地の場所がありますよね。とっとことっとこ走って降りてるんですけど、ガスのため視界はほぼゼロ、 足元の砂しか見えない状態。周囲は仲間以外に誰もいません。この状態がどれくらい続いたでしょうか。 ほんとに長かったです。やっとのことで建物が見えたときは、「助かった。」って思いましたね。 山頂に到着したときより感激でした。 文章がダラダラ長く、そのうえ下手なので、大変さがうまく伝わっていないかもしれませんが、ほんとに大変でした。 寒かった。冷たかった。足が痛かった。しんどかった。 これから富士登山をされようという方がいらっしゃったら、この我々の体験も参考にしてください。 さて次の日8月10日、昨日の嵐がうそのようないい天気です。ほんとに一日違いで大違い。 無謀な若い衆6人は、一日富士急ハイランドで遊び、新幹線に乗るためタクシーで三島駅に向かい帰路につきました。 |